黒い杖をつき、血で染めたように赤い白衣を纏った少女がホストのような優男を路地の行き止まりへ追い詰める。
追い詰めた跡には血痕やらへし折れたパイプ、曲げられた鉄材などバイオレンスなオブジェがこれでもかと残っているが、それをやったのはおれではないし
追いかけられている男でもなく少女の方だ。おれはただ、二人の一見するとか弱そうな女が淫魔のその男を嬲り追い詰めるのを見学していただけだ。
二人は別にアニメに登場するような変身ヒロインでもなければ柄の悪いレディースのような類でもない。
『妖怪』と呼ばれるモノだ。
杖を持った赤衣の少女は酒呑童子の血を引く鬼姫、もう一人の女性は鬼姫の部下として働くメイド姿の吸血鬼。
地獄を統率する『冥府』から遣わされたという二人の鬼の下についているおれは修道士。
神に仕えるおれは正式に神父となる修行として、異界のものと協力して現世に害をなす妖怪を駆逐することになった。



おれは九十九 十三。計算式みたいな名前だが、これで『つくも じゅうざ』なんて読む。
仕事は一応、教会で神に仕えたりをしているんだが十三なんて聖職者としてはどうなんだろうとたまに悩んだりもする。クリスチャンとして。
ちなみに家は代々聖職者の家系。親父が十二で『とうじ』って名前だから次のおれがこんな名前になったらしい。
尤も、親父はおれがガキの頃に病気で死んでるらしいから真偽の程はおれには分からないが……
さて、おれの住んでいるのは海と異国情緒がひしめく街、長崎だ。
歴史の教科書でも鎖国してた時代の唯一の貿易口とか、中華街とか、そういうので知ってるやつはきっと多い。そんな街の中心部を少し外れたところにある小さな教会がおれの仕事場。
10月の長崎くんちも終わって一息ついた頃。おれの上司……つまり神父様が新聞から顔を上げ、唐突にこんなことを言った。
「十三、ちょっと魚の町(うおのまち)まで行ってくれんか。私の古い馴染みが人手が足らんとのことでな」
「魚の町に神父様のご友人が?」
魚の町と言ったら観光カップル御用達、眼鏡橋のあるところだ。そんなところに神父様の友人がいるなんて話、聞いたこともなかったから驚いて聞き返した。
「ああ、最近久々にこっちに来たらしくてな。教会の仕事はいいから、そいつのところで暫く仕事をしてきてくれ。最近は妙な事件も多くて困ってるだろうし」
確かにくんちが終わってからの最近は新聞の一面に飽きるほど変な事件が報じられているが、教会の仕事よりも優先するような事情ってなんだろうか。
おれは訳も分からずただ言われたように僧服からジーンズにTシャツ、それに趣味で着用しているモスグリーンのフライトジャケット(全て私服だ)に着替え、首からは神父様が
「必ず身に着けておくように」
と念押しをした、祝福儀礼のされた小さいロザリオを下げ、聖書や経典、それに携帯と神父様からの手土産に持たされた紅茶缶と手紙をバッグに詰めてバスと路電で魚の町まで向かった。
……のはいいものの、そこからどうすればいいのかさっぱりだった。
おれは神父様の友人の姿も名前も知らないし、ただ「魚の町へ行け」と言われただけなんだから。



 夕方は16時半頃。眼鏡橋に着き、少し待っていたら、随分目立つ服装の女性が声を掛けてきた。
黒髪で三つ編みの長いおさげに朱色の瞳をしたクラシカルなスタイルのメイド服という、この街ですら時代錯誤もいいところの服装をした女性だった。
「九十九様、でいらっしゃいますか?」
涼やかな声でおれの名を呼んだ彼女が、多分神父様の友人なんだろうと思い返事をする。
「ああ、確かにそうだけど……君は?」
「失礼致しました、私はお嬢様から九十九様を案内するよう仰せつかりました八菅未奈(やすがみな)と申します。ご一緒いただいてもよろしいでしょうか?」
八菅と名乗った女性は、深々とお辞儀をして自己紹介をし、おれに尋ねる。
「えーと……おれ、渡神父にここに来るよう言われてたんだけど……」
「ええ、お嬢様のご友人の渡神父様からそう伺っております。暫くの間、私共にお力添えをしていただけるとのことで…」
「え?君のご主人…でいいのか?その『お嬢様』が神父様のご友人なの?」
おれはてっきり神父様の友人が男だと思っていたし、お嬢様なんて呼ばれる歳だなんて更に予想すらしていなかった。
「詳しい話はご案内の道中にて致します。ご一緒願えますか?」
そう言われたら、このメイドさんについていくしかなかった。



「……ええと、お嬢様って何者?神父様、言っちゃなんだが結構な爺さんだけど」
眼鏡橋から神父様の友人のもとへ向かう道中、八菅さんに尋ねてみる。神父様は白髪と黒髪の割合が七三くらいになった、老齢と壮年の合間くらいの歳だったはず。
「お嬢様は…そうですね。探偵業を営んでおりまして、渡神父様とは若い頃からのご友人でございます。お仕事の方で渡神父様にご助力いただいたことも随分と」
ますます分からない。現役で仕事をしていて『お嬢様』なんて呼ばれる年齢の女性が随分と老齢の神父様と若い頃からの付き合い?
「九十九様、こちらでございます」
八菅さんが古い木製ドアの脇に立ち、ドアを手で示す。
ドアの横には
『鬼塚探偵事務所』
とこれまた木製の看板にレトロな書体で書かれている。ゴシックというか、明治初期のような雰囲気を感じる看板だ。
「どうぞ、お入りください」
八菅さんが急かすその言葉に一気に現実に引き戻され、おれは慌てた素振りを隠しつつドアをそっと開けた。
『長崎』の裏面と表面をつなぐ、継ぎ目の空間へ至るドアを。



 事務所内は表の看板と同じようにレトロなグッズで統一してあり、まるで出島資料館やグラバー邸の一室のような雰囲気を醸し出していた。
八菅さんに木目の綺麗なテーブルに案内され、ダージリンティとカラメルビスケットを出されるが、そのティーカップも白磁に桃色の小花が散ったモダンなデザインで
この事務所の主のセンスが伺える。
程よい暖かさの紅茶を飲んでいたら、奥のステンドグラスが嵌ったドアからこの事務所の主らしき人物が現れた。
おれは一瞬、その娘が主なのか判断に戸惑ったが、彼女の放つ得体の知れない威圧感や雰囲気が「私がこの空間の主だ」と主張していた。
赤毛とは違う、紅色の腰まである長いストレートの髪に銀縁の眼鏡を掛け喪服のように黒いワンピースを着た……少女と言ってもおかしくないような風貌の女だった。
彼女はシックな黒い杖を片手にこちらへと歩いて来る。
しかしその少女の姿で何よりも目を引いたのは上着のように羽織った白衣だった。
白衣、と言うと正確じゃない。医者が着る白衣をまるで鮮血で真っ赤に血染めしたとしか形容のしようがない服だった。
「兄ちゃんが渡んとこの新米かい、時の流れっつーんは早いもんだね」
どっかとおれの向かいのソファに腰掛けた女はその容姿に似つかわしくない年寄りのような口調でおれに話しかけた。
女の前にすぐに淹れたての紅茶とジャムを出す八菅さん。どうやらこの「お嬢様」はロシアンティーがお好きなようだ。
「えーっと、あなたが神父様のご友人……ですか?」
なんとなく確認してしまった。流石にいきなりどう見積もっても10代後半のような娘が神父様の古い馴染みとは思えなかったし、彼女からは何か違うものの気配を感じたからだ。
「ああ、自己紹介してなかったね。私は『鬼塚探偵事務所所長』兼『冥府査問会現世調律室室長』、アサギヌマヒズミ。ちなみに浅葱の沼で緋が澄むと書いてそう読むのさ」
「めいふさもん…何ですって?っていうか『鬼塚』って名字じゃないんですか?」
「『冥府査問会現世調律室』。何、渡の奴から聞いてないんかい?うちは妖魔絡みの事件を扱う何でも屋なんだが…」
妖魔?そういえば最近、妙な事件が多発していると神父様も言っていた。まさかそんな、ライトノベルみたいなファンタジーじゃあるまいしと思うが一か八か、試しに尋ねてみる。
「ええっと……もしかして、浅葱沼さんはこの世界の方ではない……とか?」
「緋澄でかまわんよ。その言葉に修正を加えるなら人間でもないね、私は。
兄ちゃんはその様子じゃあ渡から何も聞いちゃいないんだろ、全く、あの小僧は…まぁいい。丁度いいし説明しちゃる。
この長崎はね、今も出島として機能してるんだ。勿論この世界に存在する他国相手とかそういうんじゃあない。
――異界とさ。冥府、天界、地獄、霊界。そういう『現世のものではないもの』達の住まう世界との玄関口なのさ。
で、私は冥府…つまり地獄を統率する門みたいなとこだ、そこから遣いに出された鬼姫でね。兄ちゃんも歴史勉強してんなら「酒呑童子」
って妖怪の名前は聞いたことくらいあるだろう、そいつが私の父親でね。私は酒呑童子の娘で冥府やら地獄の鬼共を統括する鬼の長。それで「鬼姫」と言われとるのさ。
それで話を戻すが、それぞれの一族の長は冥府査問会っつーもんでそれぞれ特殊な仕事もせにゃならんのだよ。私の場合は現世調律室の室長。
平たく言えば神事や祭事に便乗して現世に忍び込んで悪事を働く異界のもんを始末することだ。最近新聞にも載ってるが、変な事件が多いだろ?
ありゃあ少なくとも半分は異界のもん…私らは「仇花」と呼んでるがね。
ちなみに兄ちゃんをここまで案内した未奈はうちの室員でね、吸血鬼だ。尤も、彼女はにんにく料理も十字架も平気だから信憑性はあんまりないかもしれんが」
長い説明が終わり、緋澄さんはジャムを口にして紅茶を口に含む。
まあ、私はにんにく料理は臭ってしまうのであまり好きではありませんが。そう呟くように付け足す八菅さんとビスケットを子供のように食べる緋澄さんにひとつ尋ねてみる。
「ええと、おれはまだ信じられないんですが……お二人はお幾つなんですか?」
テーブル脇に積んである本に手を伸ばした緋澄さんは、
「私は1754歳、未奈は1592歳さ。西暦で数えたら大体それくらいかね」
「せんって…あ、そうだ。緋澄さんに神父様からお手紙を預かってます」
年齢に絶句しつつも、ごそごそと鞄から紅茶缶と一緒に茶封筒を取り出して缶を八菅さんに、封筒を緋澄さんに渡す。
「おお、すまんね。えーっと…?あぁなるほどなるほど。概ね分かった。兄ちゃん……十三でいいか。渡のやつに携帯をつないでよこしてくれんか?」
手紙にはおれの事以外にも何か書いてあったのだろうか。言われるがままに携帯の短縮を呼び出し神父様につなげて緋澄さんに渡す。
「どうぞ」
「ん。……おお、渡か。近代は便利になったんだのー。お前ん頃は無線機だったと言うに、今じゃ電話を持ち歩くんだからなあ。
そうそう、お前が遣した小僧…十三か。あいつは相当に使えそうだからこっち離れるまでは借りるぞ。何、春節祭までのことだ。お前んところだってその頃までは暇だろう。
とにかく、この小僧は春節祭までこっちで預かるでの」
そう言い緋澄さんはぶつんとガチャ切りをしてしまった。
「ええと、どうなるんです?おれ……」
茶封筒に入っていたと思しき手紙をひらひらと見せながら緋澄さんは猫のようににんまりと笑い、おれに告げた。
「本日から春節祭、二月二十九日までの間。九十九十三の職場はこの鬼塚探偵事務所、及び冥府査問会現世調律室とする。
これは渡晴樹神父を通して天界とも話はつけてあることだ。質問は認めるが、異論は認めんよ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。天界にまで話が行ってるってどういうことですか!?おれはしがない見習い修道士ですよ!?」

to be contenue。





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