少年は、自分を捨て駒とした兄を、憎みはしなかった。
 最後の最後まで、愛し続け、そして命をささげた。

 何故だ、と。
 白鴉は事切れる寸前、少年に問うた。何故そこまで、自分を死に追いやった相手を想えるのだ。
 何故、……殺そうとする理由すら、問わないのだ。
 少年は、血の気の失せた顔で、わずかに、ほほ笑んでいた。


 ――私の、死が……


「自分の死が、理想郷の礎のひとかけらになるのなら、これ以上のことはないと。だから、兄を恨んでくれるなと。
 ……少しの間でも、役に立つことができて、幸せだったと……、そう、あの子は儂に言うた」
 止まらない血。失われていく体温。虚ろになる瞳。
 近付いてくる、敵兵等の足音。
 その中、掠れてほとんど吐息のようになってしまう言葉で、少年は白鴉に告げた。
 耳が、目が、手が。白鴉の全身が、少年の死の瞬間を、未だ克明に覚えている。
 思い出せば、生々しい感触が、そこで起きている現実のように迫ってくる。

 糸の切れた人形のように、少年の体は力を失くす。
 押し寄せる敵兵の気配。自刃したはずの少年の骸を探していた。
 首を獲られてなるものか。
 白鴉は少年の体を抱え、飛び立った。
 そのまま、遠くへ遠くへ、自分でもどこに向かっているか判らないまま、白鴉は飛んだ。
 そうして、人も分け入らないような高く険しい山の奥深くに降り立ち、少年を埋葬した。
 無我夢中だった。
 どこの山だったかすら、記憶にない。
 ただ、誰にも見つからないようにと、安らかに眠れるようにと。
 そして、将来理想郷となったこの国を、見はるかせるようにと。
 それだけを思い、考えていた。

「そうまで言われてしまっては、……あの男を……あの子の兄を、手に掛けるわけにはいかんでのぅ」
 ――だから源頼朝。お前を恨みはしても、殺しはしない。
 その代わりお前は、そう簡単に斃れてはならない。斃れることを、許さない。
 お前のその足元は、お前を想う弟の魂で、形作られているのだから。
 しっかりと、あの誇り高く清らかな魂を、理想郷へと連れて行け。

 ふと、隣で吐息交じりに笑う気配がした。
 白鴉は、昔の記憶から意識を引き戻し、隣にいる黒い天狗を見上げた。
 玄鷺が、腕を組んでそっぽを向いていた。
「……甘い奴だな」
「そうかのぅ…?」
 白鴉は苦笑する。返した声色は、驚くほど穏やかで、静かだった。
 その時。
 ちらり、ちらり。
 白い花びらが、視界の端を横切った。

「おぉ…。とうとう降ってきたか」
 目を細め、白鴉と玄鷺は暗くなった空を見上げた。
 闇に染まらず、白い花は舞う。
 触れれば消えてしまう、儚い雪の花。
 わずかな量では、積もることすらないその花。
 たとえ白く積もったとしても、それまでには沢山の花びらが、大地にまみれていく。
 それは人の世にも似ていると、白鴉は思った。
 ――人の世が雪のようなものならば、少年よ、お前はきっと土に消えた雪だろう。
 一番はじめに舞い降り、潔く消えたひとひらだろう。
 ちらり、ちらり。
 雪は、段々とその花びらを増やしてゆく。
 時は夕暮れ。このまま降り続けば、夜の冷え込みに守られて雪は溶けず、もしかしたら積もるかもしれない。
「よいせ…と……」
 白鴉は緩慢に枝の上に立ち上がり、背の羽を震わせた。
「帰るのか」
「あとは、鞍馬の根城に戻って積もるのをゆっくり待とうかと思うての。……邪魔したのぅ、玄鷺。また明日に来る」
「来んでいい」
「はっはっ。素っ気ないのぅ」
 白い翼が、ざざんと羽ばたく。
 白鴉は松の枝を離れて、虚空へと身を投じた。
 雪の流れが羽ばたきの風で、乱れていく。
 それも束の間で、また変わらずに、ちらりちらりと軌跡を残しながら、白い花は降る。
 濃くなった闇と、雪の中をくぐり、白鴉は鞍馬山を目指した。
 都の上を横切って行ってしまえば、大した距離ではない。
 この雪が、闇には目立つ自分の姿を、隠してくれるだろう。


    ***


 天狗、なぁ天狗。
 競争をしよう。
 この石段を一気に駆け上って、寺の門まで競うんだ。
 負けた方が、勝った方の言う事を何でも一つ叶えるっていう決まりだぞ。
 私が勝ったら、また武術を教えてもらうんだからな。
 なぁ、天狗。

 天狗、なぁ天狗。
 今日は私の勝ちだぞ。
 何を聞いてもらおう。
 そうだな。いつまでも天狗では、具合が悪い。
 だったらお前に、名をつける。
 からすのように大きな羽だが、お前の羽も髪も白いな。
 それなら『はくあ』でどうだろう。
 白い(からす)と書いて『白鴉』だ。
 なぁ、白鴉――…。


    ***


 もう、名をくれた少年は、その口で与えた名を呼べない。
 静かに大地に溶け、やがて大地そのものになっていくのだ。
 そうと、わかっている。
 しかし、今もどこかから、呼んでいる気がしていた。
 溌剌としたあの声で。
 何度も、何度も。
 ――白鴉、と。

「お前と、もう一度競争してみたかったのぅ……」

 雪が、白鴉のむき出しの頬や指先に触れてくる。
 すぐに溶け、温んだ水となってしまう、白い花。
 しかし、触れた一瞬に感じる、覚めるほど清冽な冷たさ。
 その白い煌めきは、儚くとも、束の間でも、刹那に焼き付いて離れぬほど強く。
ここにいたのだと、確かに在ったのだと、刻み込むがごとく。

「のぅ、義経(よしつね)よ……」

 月の隠れた闇夜。
 それでも舞い落ちる雪は、光を受けてひらめいているように、夜に呑まれはしない。
 光の欠片が群舞し、降り積もる。
 積もり積もって、夜の底を明るくしてゆく。
 山も、川も、都も。
 すべては白い花に包みこまれ、ようやく眠ろうとしていた。


            終





*あとがき*

 ある曲を聴いて、その曲をイメージした隊長の詩を見て、その隊長から依頼を受けて、書いてみました。
 隠したってモロバレですね。あんまりにもあんまりにもイメージを握りこみやすい親切な曲でしたから。
 吾輩が受け取ったイメージと、作った人のイメージと、吾輩が作品にしたイメージにギャップがなければ、一発オールグリーン。

 現在時刻。午前、4時16分!
 あれー。書き始めたのって昨日の午後11時半くらいじゃなかったかしら。素晴らしいわね。5時間のノンストップランニング。
 筆は神が下りたかとっても快調。フルマラソンも真っ青だ。

 なんか初めに考えていたやつと大分違う話になっちゃったような気がするよ。ごめんね隊長。
 しかし、書きあがってみればこれでもよかったなと。
 っていうか、書き終わったら「あれ、前考えてたのってどんなんだっけ」と。
 そんなんだってことは、自分の中でもこっちの流れのほうがしっくり来ちゃってるんじゃないかって思うのです。
 勝手にね(←おい)



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